木桶しょうゆ

名産品のおはなし -

木桶しょうゆ

桶(こが)の郷、小豆島

現在において、杉の木と竹の箍(たが)で作られる、桶(こが)或いは木桶(きおけ)で醸される日本の伝統的な醤油は、全生産量の1パーセントにも満たないものになっております。
桶(こが)の本数にすると、全国で2000本~3000本あると言われ、その内小豆島には1000本余りが現役で活躍しています。
僅か人口2万7000人の小さな島にこんなにも桶(こが)集積し、現役で活躍しているのは何故でしょう?

 
小豆島の醤油の歴史は、中世以降の塩浜による塩づくりから始まります。元禄時代は、島塩と呼ばれ、灘塩、赤穂塩と並んで三塩と称していました。
その後、瀬戸内海に広まった塩づくりにより、競争が激化して行き、そこで小豆島の人達は醤油づくりへと転換して行きました。
小豆島は古くから海上交通の要所であり、北前船の寄港地にもなるなど、全国の物資や情報が入りやすかったことや、塩だけでなく石材の輸送を生業とする廻船業も発達していました。そもそも耕地面積が少なく自給自足が困難なうえに、島民の開放性や進取性という気質も相まって、塩から醤油へ転換していったと考えられます。
小豆島の醤油が島外(大阪)に出荷されたという最も古い記録は、1804年です。それ以前にも醤油が作られていたと考えられ、1590年代に始まったと言うのが通説です。おおよそ、400年の歴史と言われています。


明治以降、近代的な技術を取り入れようと、全国初の醤油試験場が作られ、大きな発展を遂げます。戦時中の穀物統制などの困難も乗り越え、一時はアミノ酸醤油を作ってしのぐ事もありましたが、島の醤油は結束力を持って、関東勢に挑んできました。
昭和初めの全国醤油組合総会では、関東勢の大きな資本に対して、小豆島の家族経営的な醸造家は僅かの資本をすべて醸造に投じており、島民の多くも醤油関連に従事していいる事から、島醤油は島民の命である、と発言するなど、島の醤油産業の実態を表していると思われます。
こういった事から、戦後の醤油産業が大量生産に向かった中でも、自分たちの存在価値が伝統的な桶(こが)にあるという、無意識ながらも自然とその方向に流れていったのかもしれません。

現在、日本の中で、醤油や酒や味噌を作るための、二十石・三十石といった桶(こが)を作る職人は途絶えようとしています。それを復活させたのが、ヤマロク醤油さんです。
小豆島の醤油は400年ほどの歴史があると言われています。その間必ずしも順調に進んでいたわけではなく、幾度もの危機を乗り越えてきました。戦後は醤油を原料とした佃煮産業が発展し全国有数の生産地になっています。そして現在、小豆島のみならず醤油全体の消費量が減少していますが、消費の価値観が本物や伝統に志向しており、また世界的にも和食ブームが広がりつつあります。


小豆島にこんなにも多くの桶(こが)が残っているのは偶然でも奇跡でもありません。それぞれの醸造家が長い歴史の中で直面した大手との戦いを通じて、島醤油の存在価値を考え、或いは感覚的にキャッチして、守ってきた結果ではないでしょうか。
消費の変化に応じて小豆島の産業も必死に食らいついて来た歴史を想うと、これからも未来に向かって困難を乗り越えて行くに違いありません。

この文章・写真は、小豆島醤油協同組合様の資料を元に書きました。